虎魚の日記

しがない魚 妖怪話と哲学が好き

流行りの恋愛

おいらは虎魚。

虎の魚と書いておこぜと読む。しがない魚だ。

 

恋についてだ。最近では恋愛というのが流行っている。まず相手と出会い、何度か会って人となりを知ってから恋に落ちるんだそうだが、恋愛ってのは明治以降で欧米から輸入されたものだな。

日本でも昔から異性に対して焦がれたり慕ったりすることはあった。だが、今の恋愛のように先に相手を知る必要はない。まず顔も見たことない相手に恋をする。それは噂一つあれば成り立つ恋であり、「たいそう美しいらしい」でも「気立てが良いらしい」でも「働き者」でもなんでもいい。実体は重要ではない。一目ぼれも多く、顔が見えずとも遠くから後ろ姿を見るだけ、戸の隙間から着物の裾が見えただけでも恋に落ちることができた。

相手の顔や性格、名前や素性などは恋とはあまり関係がなかったからだ。

昔話では、ある女のもとに夜な夜な男が通ってくる。暗闇で相手はだれだか分らぬまま子を身ごもった女が、年寄りの助言を受けて着物の裾に針を刺しておく。夜が明けてから糸をたどってみると男の正体である大きな蛇がいたなんてのがよくある。この場合も運命の相手がたまたま人ではなかったというだけで大した問題にはならない。顔も名前も知らない男(この場合は蛇)と子を作り、身ごもってからようやく相手の素性が気になりだすのだ。

ましてや、相手が人間であれば、顔も知らず名も知らずとも夫婦になるのはたやすい。相手の名前や仕事、親や家なんて結婚した後でもわかるし、先に知らないといけない理由がない。結婚して夫婦になってから知ればいいのだ。

一緒に暮らし、子を育て、長くともにいれば相手の人となりもわかってくるだろうが、結婚もしないうちから相手がどんなお人かなんて分かりっこないのでは。知ろうと思うほど結婚できなくなってしまうだろう。

 

最近流行りの恋愛は不自然で難しく思える。性格や家柄など難しいことは気にせず芸能人や架空の漫画の中の人に恋する感覚のほうが日本人らしい。いろいろ忖度する前にとりあえずそこらの男や女と結婚してしまう。そのあとでどんな相手か知っていくほうが退屈しない。上手くいけばもうけもん。上手くいかねば別れりゃいいじゃないか。人間だって動物同士、結婚なんてただの相性の話だ。合う合わないがあって当たり前。動物園でもやってる。

 

虎魚