「見るな」というほど見たいものだが
おいらは虎魚。
虎の魚と書いておこぜと読む。しがない魚だ。
見てはならぬもの、と言うと何を思うだろうか。鶴の恩返し鶴。豊玉姫のお産。お守りの中身。竜宮城の玉手箱。たくさんあるが見るなと言われると見てしまうという共通点がある。
「見るな」というのはだいたいが人ならぬモノ、妖怪よりも神仏に近い存在だ。見てはならぬものは見ない方がいい。見て良い結果になることはあるまい。
人が人の世で生きる上でこの世ならざるモノや神仏の世界に興味を持ちすぎるのはあまり良いことではないように思う。あの世のことは、この世を全うし死んだ後で思う存分知ることができる。しかし、この世のことは此の世でしかどうにもすることはできない。死んだ後では戻れぬのだ。
人ならざるものは恐れ敬うものであり、興味心で近づくものではない。人の住む土地と人ならざる者が棲む土地は近く重なり合う場合もあるかもしれない。この世とあの世の境はすぐそこにあるものだ。それは物理的な距離ではなく、一寸先は闇ということだ。今生きているが、一瞬先に生きているとは限らないという意味でだ。基本は、人の住む地に人ならざるモノは棲めず、その逆もまた然りだ。
人として生を受けた以上は人の生を全うするのが筋だ。
虎魚