男と女、美人不美人
おいらは虎魚。
虎の魚と書いておこぜと読む。しがない魚だ。
おいらの知ってるお経の話をしよう。
あるところに年取った坊さんが居った。そこに時々天女が現れる。
この天女と坊さんはいくつか因縁があるのだが、この日は坊さんが天女に「あなたはどうして女の姿であらわれるのか」と尋ねた。するとたちまち天女の力で坊さんと天女の姿が入れ替わってしまった。天女が坊さんで、坊さんが天女の姿だ。
天女が坊さんに「あなたは女か」と問うた。坊さんは「女の姿だが女ではない」と答える。天女はうなずき「あらゆる女は女の姿であらわれているのであって、本来女でないものが女の姿であらわれている。お釈迦様はあらゆる存在は女でもなく男でもないとお説きになった」と言った。
男は男の姿であらわれたのであって、男ではない。
女は女の姿であらわれたのであって、女ではない。
人は姿かたちをもって生まれるが、その本質は姿ではなかろう。
皮の美しさではものの味はわからんし価値ははかれん。
それでも人は人を皮で選ぶようで着物や化粧に銭をよく使う。
男も女も美人も不美人も大して変わりはせんものだがな。
虎魚
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