お山の神さん
おいらは虎魚。
虎の魚と書いておこぜと読む。しがない魚だ。
日本には神道と呼ばれる宗教がある。神道には確たる教祖はなく、確たる教義もない。世界の規範でいう宗教の体をなしていない。世界の原初民族にも通じる自然信仰であり、呪術信仰である。
日本での古神道もそれに類するものだった。古神道は大陸より伝来した仏教の影響を色濃く受けている。社殿もその一つだ。元の神道では、社殿を必要としなかった。社殿ができるのは、渡来仏教の影響を受けた奈良時代になってからだ。
三輪のカミでは三輪山そのものがカミが坐します神座。壮麗な拝殿ができて、神社を名乗りだしたのは近世も江戸中期になってからだ。日本のカミは山そのものであり、岩そのものであった。
はるか昔から山は信仰の対象であった。人は山を恐れ敬い拝んできた。
山は天上界と地上界をつなぐ位置にある。山そのものがカミであり、山にカミ、ホトケ、魑魅魍魎が棲んでいる。
また、山には中腹あたりに峠がある。峠の語源は手向けだ。山頂部は神がおわします聖域であり猟師も樵も旅人も峠から望むものであった。山頂部の樹木は神の依り代でもあり社とした。
古来日本人はそうした山林の手入れを怠ることはなかったが、近年それが滞るようになっている。間伐されない杉山は悲惨だ。枝が込みあい気はやせ細り光が入らぬので下草が生えない。雨が降るたび土が流れ川は濁流と化す。
人は山の神との約束ごとを忘れるともなく忘れつつある。
おいらは魚だがお山が好きだ。お山の神様は醜女などと言うやつもいるが、そんな訳があるか。姿かたちなどにとらわれるやつは阿呆だ。そもそも神さんが女の姿で現れたとしても、女の姿で現れただけのことであって女ということではない。本質は姿かたちなどにはないのだ。ちなみに山の神さんは虎魚がお好きなんだと。たいそう立派でお美しいことだろうよ。
虎魚
虎魚おすすめ書 社をもたない神々 | 神崎宣武