今はだれの時代だろう
おいらは虎魚。
虎の魚と書いておこぜと読む。しがない魚だ。
「非僧非俗」僧にあらず俗にあらず。「僧に似て塵あり、俗に似て髪なし」とも言うか。人に非ざる人であろう。世間からは外され追放されたアウトローのことだ。そのような生き方を志す者がいる。おいらも人間の真似はしたくないもんだ。
仏教では乞食というものがある。
乞食(こつじき)から乞食(こじき)乞食(こじき)から木食(もくじき)木食から断食そうして枯れるように死んでいく。これは良い死に方である。
仏教に限らず乞食というのはカミやホトケの名においてものを乞う行為。それがようやく終焉を迎えようとしている。かつてそれは祝い事をのべて寿ぐひと(ホカイビト)、異界から訪れてくる貴人(マレビト)たちのおこないだったのに。田を耕す農民たちの時代がやってきていた。漂白し流浪していく芸能民たちが差別され定住民の生活から追い出される暮らしが定まりかけている。
これははるか昔の話だが彼らはどこへ行ったのやら。今はだれの時代だろうか。
虎魚
虎魚おすすめ書 身軽の哲学 | 山折哲雄